北海道・札幌の映画館シアターキノの23周年記念企画として開催された「学生映画感想文コンクール」の受賞結果がこのほど発表され、学生部門優秀賞に『野火』をテーマにした北海道大学文学部2年生の佐藤颯(さとう・はやて)さんの作品が選ばれました。
同コンクールは、多彩な映画の魅力を知ってもらおうと、同館で公開された作品を対象に実施されたものです。
シアターキノさんのご厚意で、佐藤さんの感想文をここにご紹介させて頂きます。
肉塊のような映画だった。
すべてが剥き出しの混沌と、有無を言わせぬ説得力を もつ佇まい。
映画を観たというより「食われた」という衝撃。これはあらゆるも のを破壊する映画だ。
例えば戦争のイメージ。
灰色だと思いこんでいた戦争の風景は、レイテ島の木々や花々、空の色により一瞬でぬりつぶされてしまう。
例え ば人間の肉体。
腕が、臓物が飛び、頭が破裂し、飢えた兵士たちの肉体は腐乱していく。
そんな光景までもが画面に鮮やかな彩りを加えるのだ。
たいする戦地の 宵闇は吸い込まれるほど黒く、底なしであるのに。
そして人間の精神。
銃をつき つけられた現地人の咆哮が動物のそれと変わらなくなる瞬間。
すべてを失い戦地 をさまよう兵士が幽霊と近似する瞬間。
やがて飢餓の果てへ到達した兵士たち は、人間でも獣でもない「何か」になっていた。
これらはみな戦争のもつ破壊性 そのものなのだろう。
戦争は人間を極限まで現実から遠ざける。肉体のみならず、倫理も、言葉も、心をも殺す。
この映画はあらゆる死から目をそらさない。
人間性に先立たれた人間はただの肉塊にすぎないという事実をまっすぐにつきつけてくる。
映画を観る自分もまた同じ人間であるという事実、この地獄が実際に 存在していたという現実。
あの夜の暗さは、人間がもつ闇の深さそのものだったのではないか。
映画は戦争そのものではないが、この映画はまぎれもなくひとつ の「体験」としてある。
確かな痛みがあり、恐怖があり、記憶そのものに結実する。
ひとたび足を踏み入れればたちまち咀嚼され、死を知り、肉塊として生きていくしかなくなる。
それほどの覚悟をせまられる映画だった。
かつての戦争は体験できない。ましてこれから体験することがあってはならない。
映画は戦争そのものではないけれど、その恐怖を体感するには十分すぎるほどの絶望と説得力と、魂をそなえていたのが『野火』だった。
これは私たちの映画だ。
今こそ観られるべき映画だと思う。