7月5日(火)に30名さま限定で『野火』メイキングのオンライン上映会を実施し、塚本監督が参加。タイニイハウスとともに「旅気分」で一緒に鑑賞し、上映後には鑑賞者のみなさまと質疑応答を行いました。オンライン(Zoom)上には全国各地からの参加者が集い、口頭またはチャットにて塚本監督に質問・感想を寄せました。この日はウクライナの方の参加もあり「みなさんとこの場にいられることがうれしいです」と英語であいさつする一幕も。作品について、表現について、戦争について、多くの質問が寄せられ、予定を30分延長して約90分間にわたる貴重で有意義な対話の時間となりました。
『野火』メイキング無料オンライン上映会+塚本晋也監督Q&A
■日時:2022年7月5日(火) 20:30~23:00
■場所:オンライン(https://nobi-movie20220705.peatix.com/)
■上映作品:塚本晋也解説『野火』20年の軌跡
塚本晋也解説『野火』20年の軌跡
塚本監督が 10 代に小説と出会ってから映画化への道を克明にとらえたドキュメンタリー。戦争体験者への取材、撮影、完成を経てヴェネチア映画祭のプレミア上映、劇場公開時の映像を通して「野火」の全体像に迫る。監修/構成:塚本晋也 演出/編集:長岡広太 2015年/60分
【質疑応答】(※一部採録・再構成・敬称略)
Q:『野火』をつくる上で、参考になった映画、どういった作品をご覧になったのかということが気になりました。市川崑監督バージョンの『野火』もありますけれども、どういったところが印象に残りましたか?
塚本:影響受けた映画は結構あります。一番影響を受けたのは70年代、僕がいわゆる10代のときに観たヴェトナム戦争の映画です。みなさんもよくご存じの『地獄の黙示録』。はじめて観たときは自分が戦場にいるような気分になりました。物語がいろんな人の葛藤で進んでいくというよりは本当に起こってることを羅列的につなげていってるような印象を受けました。映像と音響の効果で弾とかが本当に自分に向かって飛んでくるようなリアリティがあり、強い感銘を受けました。あとはやはり『プラトーン』というやっぱりヴェトナム戦争映画。その両方に共通するのがヒロイズムという英雄主義の映画ではなくて、悲劇で皆で悲しんでるというのでもない。何かもう戦争の空虚さとか愚かさみたいなものを非常に辛辣なかたちで描いてるような映画に興味がどうしてもありました。もちろん市川崑監督の『野火』は高校生のときに観て、すごく強い印象があります。大好きな映画ですし、市川崑監督も大好きです。ただ自分自身はモノクロの映像じゃなくてカラーの映像でフィリピンの自然を写したいというのがメインだったので、そこが根本的に違うところではございます。
Q:この度は素晴らしい上映会をありがとうございます。 私は2015年に初めてユーロスペースで野火を見て以来、後にも先にもこれ以上はないと思えるほどの衝撃を受け、寝ても覚めても野火のことばかり考えてしまう毎日が続きました。 塚本監督の野火は本当に戦場に連れて行かれたかのような凄まじい没入感が印象的ですが、この没入感を強めるために画面や音楽、演出上で意識されたり工夫されている部分がありましたら教えて頂けると幸いです。
塚本:お金がなかったからではなく、もしお金があって大作をつくれたとしてもこういう風にやろうと思っていたのは、あくまでも主人公の田村一等兵の主観に近い映画にするということです。お客さんが田村と一緒になってジャングルの中を歩き回るっていう映画にしようと思ったんです。田村一等兵がいて、「一方」アメリカ兵は銃を持ち構えて待っているという顔を映して、❝あー近づいちゃだめだ危ない危ない❞、バババッていう描写じゃなくて。実際に戦場にいたらアメリカ兵は隠れていてこちらは気づかないわけですから、アメリカ兵は見えないんです。あくまでも主観的に歩いていくと、突然弾が飛んできますし、突然爆発が起こります。そういう主観的表現で没入感を出そうというのが一番の方法でございました。
Q:塚本監督の作品は日本映画史に残されていく素晴らしい作品の数々だと思います。この『野火』も間違いなく残っていくと思います。その作品が低予算での制作になったことは、ご本人としては振り返ってみて、よかったことと思われていますか。できればお金をかけて自由に作りたかった思いは残っていらっしゃいますか?私はいろんな制限の上で、あるいは限られたスタッフで作られたからこその、奇妙さ、が塚本監督の映画の魅力の一つであると、今までの作品でも多く感じております。映画製作自体、いろいろ制限があるほうが楽しめる、いいものができると感じられる部分はおありでしょうか?
塚本:お金がいっぱいあって自由にっていうのはほぼないんですね、この世の中。自分がお金をいっぱい持っていればそれは自由ですけど、プロデューサーからお金をいっぱいもらうということになった瞬間に完全なる自由というのはもうそこで消えますので。そういう意味では、本当はこの映画に関してはやっぱり多くの人に見てもらいたかったっていうことで著名な俳優さんに出てもらって大きな規模でつくるのが夢ではあったんですけど、恐らくそういう(大きな規模)じゃなくて、もう苦しみつつ自分のできる範囲の中でつくったからよかったんじゃないかっていうことは大林宣彦監督も言ってくださっていて。やむにやまれぬかたちで今生まれたっていうことが重要だったわけなので、こういうふうでよかったんじゃないのと。いずれにしてもうれしい意見を言っていただきましてありがとうございます。
Q:塚本監督の初期作品は物質としてのただの肉体とか、物質としての都市の風景とかわりと今の現在性みたいなものが特徴かなと思っていたのですが、(『野火』の前作の)『KOTOKO』とかを見るとそのリアリティーというのが何かすごくもっとこう切実なもの、塚本監督が戦争ってものをすごく意識しはじめたということにつながっていくのかなと思いました。(『野火』の)製作まですごい時間がかかったと思うのですが、今つくらなければいけないという気持ちを持続できたのはどういう心境があったのでしょうか?
塚本:『野火』は自分としては戦争に実際近づいてるという危機感をそんなに強く感じていなかったころからずーっとつくりたいと思ってた企画なんです。そのときはやっぱり原作の素晴らしさ、原作の世界に近づきたいと思っていたのと、戦争をテーマに扱うのは普遍的なものでそのことを見つめたいみたいな気持ちでした。最後にお金がまったくないのにつくんなきゃと思ったのはやっぱり3.11があったとき。放射能がこぼれてしまったときに自分は東京の電気が福島からきてるってことさえも知らずにのうのうと生活を享受していたわけですけど、心の奥底ではなんか電気過剰だなと思っていて。その電気が実は福島から来てるということになんか首をかしげるわけです。その電気を本当に原子力発電所とかでつくらないといけないのかなという疑問とかもどんどん起こるのは、もうそこで結局いらなくなった廃棄燃料みたいなものは何万年もとっておかなきゃいけないわけですよね。毒が消えるまで。それどこにどうするんだろうと思ったら案外雑にドラム缶につめて海に沈めるとか地面に沈めるとか。ドラム缶の方が何万年より先に融けて消えちゃって、そしたらその何万年にならない前の未来に生きてる子どもたちはずいぶん前の人たちがつくった毒をもろにあびるのがあきらかなわけです。自分が子どものときって大人っていうのはもっと未来の設計図をきちっと作って未来に命を紡いでいく計画をたててるのかと思っていましたが、案外すぐ目先のお金のことの方が大事で未来の設計図が雑であるということに気付いたときに不安に駆られて。それはたいがいそのことを計画するある力を持った人たちの私腹をこやすために犠牲になるのがたいがい自分たち一般の民衆であるっていう構図がそこにいつもあったものですから、その雑さをもってすると戦争みたいな状態になったときに、いかに民衆の命が粗雑に扱われるかおのずとはっきりしてきます。その不安が強くありました。もう一方では、戦争体験者の方々がいらっしゃるときは、もう戦争に近づくなんて冗談じゃないという強い炎のような気持ちがあったので、水面下では戦争をしたい人たちが戦争が終わった直後からもうすでにいたと思うのですが、そういう人たちの気持ちをしたくないっていう強い気持ちでおさえてたと思うんです。でもその方々がいらっしゃらなくなって戦争の体験が体の実感としてない(方々が増えてくると)いかにもしたり顔をした戦争をしたい人たちの意見が強く大きく前に出てきて不安でした。論理的にそういうことはよくないという説明はできないのですが、自分にできることと言ったら戦争に行くと一般市民である自分たちはこういう目にあう、結局戦争って殺すという目的のための究極の暴力があるところで、民衆の立場でこうなっちゃうよってことを言わんといかんなと。自分もついぼーっとしちゃうんですね。戦争の実感わきませんし。そういう不安があって今やんなきゃと思い、無理くりつくり始めた感じでございます。
Q:私は広島県で生まれ育ちまして平和教育をずっと受けてきたんです。小学校のころは被爆者の語り部さんの話をよく子どもなので怖いから聞かされてきたという感じなんですね。今その方々がもういなくなってしまって、その方々のお話を引き継いだ2代目の語り部さんが活動を始めてるんですけれども、お話を聞いてもどうも最初に聞いたときみたいな恐怖がないんです。でも『野火』を見たときには小学校のときに語り部さんの話を聞いたときみたいな恐怖があったんです。恐怖の濃さは何に左右されるんだと思いますか?
塚本:難しいいい質問ですね。僕も今実はぱっとわかってて答える感じじゃないんですけど。大岡昇平さんの原作が十分素晴らしかったのですが、まだ僕自身は戦争体験者の方にお話を聞く機会があったので、そのお話を聞いて、あたかも自分がその戦争に行ってるくらいのイメージが湧くような、体験してるくらいの恐怖がありました。なるべくそれをそのまま映画に移し替えることができないかと悪戦苦闘したというか、必死にやりました。そのことに尽きちゃうかなという感じなんです。そう考えたときに今後の戦争のことを描く表現、戦争を体験してない僕がぎりぎり語り部の人から聞くことができましたけど、今度その聞く機会もない人たちが戦争のことを扱った映画をつくっていかなきゃいけなくなりますので、どういう風にその恐ろしさを伝えていくことができるんだろうかというのは恐らく今後の課題でもあります。もしそれが難しいということになってしまうと、もう戦争の恐ろしさを伝えることがあまりうまくできなくなってしまい、どんどんまた戦争に近づいていっちゃうということがあるので、そこは非常に難しい大事な大きな課題です。質問も素晴らしいんですけど答えも難しいですね。僕自身もまだちょっとわからないんですけど。わからないながらにおぼろに思うと、僕はこの『野火』をつくるときに戦争体験を全くしていなくてつくるのはちょっとこわかったのですが、戦争を体験してない人はつくっちゃいけないのかというとやっぱりつくるべきだと思うんです。資料とかそういうものは本当にたくさんあるので、多分その資料を読むことで受ける感情は同じ人間なわけですから。たくさん読むことで何かそこに創作の実感がわけば、それはやっぱりつくるべきなのかなと思うんですけどね。
Q:『野火』も拝見して、メイキングもすごく興味深く拝見しました。私自身子どものころから祖父からフィリピンの戦場の話をたくさん聞いて育ちました。その話が映像そのままに表れてる感じがして、びっくりしたというか、こういう状況だったんだっていうのがすごく実感としてわかったというか。手触りをもって観ることができてすごく貴重な体験を映画でさせていただいたなと思っています。エグさとか怖さとか、戦争って現実はまったく明るくないんだよみたいなことを伝えることの難しさを今現状として監督は感じてらっしゃいますか?(お祖父さまの体験をお話くださり)こんなに戦争って恐ろしい、そんな現実があったんだというのが子供心にずっと実感としてありました。本当に戦争ってなんだろう、と。自分にとっては遠いものかもしれないけど恐ろしさだけはずっと近くにあったので。私は孫だったからそういうふうにラフに話してくれたと思うのですが、やっぱりそれをこと多くの人に伝えるっていうのが本当にだんだんできない、伝えられる場所もなくなってる気がしていてそれがちょっと大丈夫なのかなと思うときがあります。
塚本:本当にいいお祖父さまだったんですね。そういう恐ろしさを体感させてくださったっていうことですものね。そういうことが一番大事なんだろうなとやっぱり思ってしまいますね。でもやっぱりなかなか話す人は少ないと思うので、受け継ぐっていうのは難しいことだなと。『野火』の企画も全く同じ内容でも、ずいぶん前は内容はいいけどお金がちょっと集まんないよって感じでした。でもだんだんもう煙たいって感じですか。そんな恐ろしいとか、冗談じゃないみたいな雰囲気で煙たがられる時期がありましたね。だいぶ前と様子が変わってきたなぁと。『野火』の企画を出すときなのでずいぶん前の話ですが、変化してきたなと思って。『野火』をつくるときにはもう誰も相手にしてくれないという状況です。だからつくったところでもしかしてプロデューサーだけじゃなくてお客さんさえもいない可能性あるなっていう不安も起こるような状況で、暗中模索みたいな状態でつくりました。全国の映画館をまわったなんてかっこよく言ってますけど実は不安もあってですね。総スカン食らうんじゃないかっていうどんな反応なんだっていうのを一緒に見たいなというのもあって見に行ったのもありました。そしたら案の定誰も何にも云わないで顔青ざめてるんで最初は失敗したとこりゃいかんと思ったんですけど、だんだん反応が大きく返ってくるようになって今こうして8年も続くようになったって感じですね。なかなか大きな規模でやるのは難しいんだなってこうやって話してても改めて実感してしまいます。
Q:戦争とかそういう題材を扱うときに被害はけっこう大きく扱うけれども、加害の部分はあんまり描かれないことが多いです。『野火』は加害の部分がリアルに色濃く出てると思うし、敵じゃなくて味方でさえもそういうふうになっちゃうというそこがすごく芯にあり、観たときにものすごい衝撃を受けました。加害を描くのは難しく、気持ちが強くないと描けないと思うのですが、そういう思いで加害の部分を描こうと思ったのですか?
塚本:ちっちゃい子どものとき「コンバット!」って戦争を描いたアメリカのテレビドラマを弟と一緒に見ていたことはあるんですけど、ある時期からそういうヒロイズムみたいなもの、ヒーローって感じで戦争の映画を観るのに強い抵抗を感じるようになりました。戦争をヒロイズムで描く映画っていうのはいまだにけっこういっぱいあるんですけど、それはもうちょっと僕としてはとても受け入れられるものじゃないです。もう一方で戦争を悲しいとか自分たちが被害を受けるみたいなかたちで戦争の恐ろしさを描く映画はたくさんあって、それはもちろん戦争の怖さを描いてるんでいいことというふうに思うんですけど、でも戦争を被害で描くっていうことは自分たちをひどい目にあわせてる相手がいて、ひどい目にあったていうその憎悪とかが相手におこってしまうことでもあるわけです。そういうことを描いてる限りは戦争の恐ろしさっていう本質にはなかなか近づけないんじゃないかなというふうに思っていて。戦争で怖いのって戦場に行ったときに自分が殺さないと殺されるので殺すという、被害で死んじゃう怖さだけじゃなくて人を殺さなきゃならないっていう怖さがすごくあると思うんです。この映画をつくったあとにいろんな本を読んで、これはちょっとがっかりな話なのですが、人って状況を与えられると暴力的にどこまでもなってしまう、そういう人が非常に多いってことです。どの国の人もその状況が与えられると殺人をしてしまう、その場が戦場ということです。殺したり殺されたりするという究極のことが行われる場所です。その「殺す」っていうことが場が与えられるとできちゃうっていう、実は僕それがとっても信じられなかったんです。どこかで踏み越えられない一線があると思ってたんですけど、当たり前のようにそういうことがあるということが今恐ろしさとしてあります。その加害をしてしまう恐ろしさということを描いて、その場に近づかないというようなことをテーマにしなきゃいけないというのが自分の中には強くあるんです。ただ映画っていう表現にしたときにそれをお客さんが見たくないっていうのがありまして。プロデューサーがお金を出さなかったのはそれじゃお客さん来ないよって結局そういうことだったなと思うんですけど。加害者を描いても映画観て気持ち良くならないんです。そこにカタルシスがないので。だから映画として難しいということがあります。でも戦争の恐ろしさを描く以上はそこにカタルシスがなくてもそれを描かないとならないんです。だから大きな映画じゃなくて自分ひとりでやらなきゃいけなかった、結局はこういう方法でしか映画できなかったのかなというふうに実は『野火』に関しては思ってるところがあります。それでもまだ恐ろしい加害ばっかりを描くっていうのを自分の創作でやるところまではなかなかいけなくて、『野火』は加害もありますけど被害もいろんなものが、素晴らしい文学の中に入っています。加害も突発的な事故にも見えるような表現で、けっこう自分としては加害を描きつつもお客さんの共感がぎりぎり入るところを一生懸命探した感じではあったんですけどね。だから本当の加害を描くのはなかなか難しいかもしれません。
Q:私たちはウクライナに住んでいます。 塚本さんに質問があります。教えてください、戦争を防ぐ方法はありますか? そしてそれをどのように終えるのですか?
塚本:これあまりにも僕には大きな質問すぎますね。すみません、ウクライナの今の大変な状況になってる方に。実際YouTubeでプーチンインタビューという5時間くらいあるやつを見れるので見たんですけど、全部。どうしてこんな戦争が起こってるのかって。こんなに現実的に人がいっぱい亡くなったりひどいことになってるのに、その本当の理由っていうのがなかなか僕わかんなくてですね、これから理解を深めていかなきゃいけないんですけど。そんな目先の今起こってることが難しくてわからないのにかかわらず、今まで人が永遠にと言っていいほどの長い時間繰り返してきたこの殺戮、全然人間が進歩しないでしたことを終わらすっていうのがね…。どうしてもなかなかぱっとは答えるのが難しいんですけど。ただ自分の中では逆になんでこうやって戦争しちゃうのかなというのも正直言うとわかんなくて。この日本が75年も戦争をしないできたっていうそれが当たり前の時代の中に自分は生きてきました。それは戦争でひどいあつい思いをした人たちが戦争をしないようにしてきた強い強い気持ち、異常な努力をきっと繰り返されてきて、この日本の75年も戦争をしなかったことがきっとあるってことがどうしてもあると僕は思います。今痛みを感じてる人たちが強く思ってる気持ちがある間は戦争はおこらないんですけど、その体の実感がなくなるとどうしてもまたそこに戻っちゃうっていうのが何とも愚かしいというか。でも最初からしたい人がいる以上はこのチャンスを狙ってきた人がきっといるんだろうなと。どうしてそもそもそういう人たちがいるんだろうなというのも不思議なんですけど。人の中に権力欲とか本能みたいなものがどうしてもある、何か強い権力とか持った人たちにそういう人たちがいるからなんですかね。それでその人たちの言葉に自分たち民衆が意外にこう感化されて、「そうだそうだ」とこう膝を叩いてしまう人たちがいるんでしょうかね。いつも不思議なんですけど。例えばそうです。大河ドラマとかで武将が決断して、観てる僕たちも共感して観てますけど、自分たちはその武将側じゃなくて武将の判断によってうぉーってみんなで攻め込んでいってバタバタと死んでいく十把一絡げ、その他大勢で描かれてる方の立場の方なんです。その武将と自分たちっていうのが全く違うっていうことを実感してもらってから意見を言ったり考えをはじめてもらいたいなっていつも思います。このふたつの間の戦争を決断する人と行く人っていうのが違うのをなんか一緒くたにして考えてるんで、僕としてはですけど、国と国の戦いっていうんじゃなくて、戦争をしたい人たちがここらへん(上の方を示し)にいて、戦争をしたくないけど行かざるを得ない人たち(下の方を示し)、それがどの国の人であっても、国ごとの対決じゃなくて、この戦争をしたい人たち(上の方)と自分たち全員が合体したもの(下の方)との戦いなんで、この人たち(上の方)の言葉によって、ここ(下の方)がいがみあってますけど、この人たち(上の方)の言葉がなければ、ここ(下の方)が別にいがみあう必要の全然ない人たちの大きな集合体なんで、こっちの方(下の方)でなんかもっとここ(上の方)の言葉に感化されない力で結びつきあうことってできないのかなと思います。これは本当に甘い考えでもっといろんな複雑な事情っていうものがあると思いますし、簡単には言えないのですけど。僕はどっちかというとここ(上)とここ(下)のことでこっち(下の方)の連帯を高めたいなという風に強く思うんです。そのときは何が必要かっていうと情報がきちっといつもいつもすみやかに通ってる状態っていうのが必要なわけです。情報が中できちっとまわってない国はやっぱり上の人たちの言葉の影響を受けやすくてその言葉ばっかりが真実だと思ってしまい、やっぱり戦争にも多く行ってしまいかねない国のように思うんです。だから日本でもある権力を持ってる人たちには(一般市民に)情報がない方がありがたいんで、抑えようとしている動きがあきらかにあります。情報が流れないようになったらえらい騒ぎになると思った方がいいので、この情報が得られないっていう状況をつくろうとしてる動きがあったら、絶対にそうさせないようにしていかないといけないなと思います。実状を今味わってる方に言うような内容じゃないかもしれないのですが、そんなことを今感じているんですけどね。
(最後のご挨拶)
相変わらず不安はどんどん高まる一方なのですが、自分としては『野火』をつくったってことだけは間違いじゃなかった、いろいろ悩みつつも『野火』をつくったってことで、逆に『野火』の方が今迷ってたり悩んでたりしてる自分に『野火』を観ることで教えてもらうような感じもあるので、表現の方が自分の頭とか考えてることより先に行ってる感覚があります。これから先も自分も『野火』から教えてもらうために上映し続けて、こういう場を設けていただいたときにみなさんの話を聞きながらまた考えていけたらというふうに思っております。今日はプライベート空間対プライベート空間なのでお友達とお酒を飲みながらしゃべるような雰囲気でしたが、大事な場でございました。今年も8年目の『野火』なんとかお友達を誘って劇場で体験してくださるようお伝え願えたらと思っております。今日は夜遅くまでありがとうございました。
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ご参加いただいたみなさまありがとうございました!