9年目の『野火』戦後78年アンコール上映

2023年11月に新作『ほかげ』の公開を控える塚本晋也監督が、戦後70年に当たる2015年に初公開し、これまで71年、72年、73年、74年、75年、76年、77年と毎夏かかさず上映を重ねてきた『野火』。今年も終戦記念日を中心に、渋谷・ユーロスペースほか全国にて9年目のアンコール上映を行う運びとなりました。世界情勢がますます混迷する今、スクリーンを通して戦場の恐ろしさを体感し、引き続き戦争と平和について考えていただきたいと考えております。今年は新装版のパンフレットも完成し上映劇場で販売予定です。


戦後70年にあたる2015年に初公開した塚本晋也監督の『野火』。構想から20年の歳月をかけ完成させ、2014年にヴェネチア映画祭メインコンペティション部門出品、翌年に全国83館で劇場公開。その後も、製作当初から「『野火』を毎年終戦記念日に上映されるような映画にしたい」という塚本監督の思いに共感した劇場にて、毎年アンコール上映を重ねてきた。

初年度からの劇場・自主上映含む総観客数はおよそ9万8300人にのぼる。公開から9年目となる戦後78年の今年も渋谷・ユーロスペースを中心に全国30館の劇場で上映が決定。(7月20日現在)(※別紙にアンコール上映劇場一覧あり。)各劇場の上映予定、イベント予定等実施の詳細は劇場HP、『野火』オフィシャルサイト・SNSにて随時発表する。

また今年は新装版のパンフレットが完成。書籍『塚本晋也×野火』(游学社)に掲載されていた第二次世界大戦に関する詳細な解説とシナリオを採録したオールカラー70ページ。上映劇場にて販売開始する。(一部劇場を除く)


【塚本監督からのコメント】

9年目の「野火」になります。

戦後70年の夏から毎年上映を続けることができたのは、理解を示してくださった多くの劇場さんと、見てくださる皆さまのおかげです。

ウクライナの戦争が終わらず、世界の状況が底の抜けたように不安に満ち、何が正しいのかさ えはっきり言えない世の中になってきたと言えます。

そんな時にこそ、大岡昇平さんからのメッセージ、「野火」に立ち返ってみて欲しいです。

戦争が始まれば、何が起こるのか。 人はどう変わってしまうのか。

その上で様々な議論が展開されることを望んでおります。

「野火」。 今こそさらに多くの皆さんに観ていただきたいと思います。

塚本晋也


11月には『野火』『斬、』の流れを汲む最新作『ほかげ』の公開を控えている塚本晋也監督が、極限の状況下での人間の姿を描き、戦争の恐怖をあぶり出した『野火』。世界情勢がますます混迷する今、観客のみなさまに劇場で、戦場の恐ろしさを体感し、引き続き戦争と平和について考える機会にしていただきたい。

随時更新!上映劇場はこちらのページでご確認ください。

『野火』メイキング無料オンライン上映会+塚本晋也監督Q&A オフィシャルレポート

7月5日(火)に30名さま限定で『野火』メイキングのオンライン上映会を実施し、塚本監督が参加。タイニイハウスとともに「旅気分」で一緒に鑑賞し、上映後には鑑賞者のみなさまと質疑応答を行いました。オンライン(Zoom)上には全国各地からの参加者が集い、口頭またはチャットにて塚本監督に質問・感想を寄せました。この日はウクライナの方の参加もあり「みなさんとこの場にいられることがうれしいです」と英語であいさつする一幕も。作品について、表現について、戦争について、多くの質問が寄せられ、予定を30分延長して約90分間にわたる貴重で有意義な対話の時間となりました。


『野火』メイキング無料オンライン上映会+塚本晋也監督Q&A
■日時:2022年7月5日(火) 20:30~23:00
■場所:オンライン(https://nobi-movie20220705.peatix.com/
■上映作品:塚本晋也解説『野火』20年の軌跡

塚本晋也解説『野火』20年の軌跡
塚本監督が 10 代に小説と出会ってから映画化への道を克明にとらえたドキュメンタリー。戦争体験者への取材、撮影、完成を経てヴェネチア映画祭のプレミア上映、劇場公開時の映像を通して「野火」の全体像に迫る。監修/構成:塚本晋也 演出/編集:長岡広太 2015年/60分


【質疑応答】(※一部採録・再構成・敬称略)

Q:『野火』をつくる上で、参考になった映画、どういった作品をご覧になったのかということが気になりました。市川崑監督バージョンの『野火』もありますけれども、どういったところが印象に残りましたか?

塚本:影響受けた映画は結構あります。一番影響を受けたのは70年代、僕がいわゆる10代のときに観たヴェトナム戦争の映画です。みなさんもよくご存じの『地獄の黙示録』。はじめて観たときは自分が戦場にいるような気分になりました。物語がいろんな人の葛藤で進んでいくというよりは本当に起こってることを羅列的につなげていってるような印象を受けました。映像と音響の効果で弾とかが本当に自分に向かって飛んでくるようなリアリティがあり、強い感銘を受けました。あとはやはり『プラトーン』というやっぱりヴェトナム戦争映画。その両方に共通するのがヒロイズムという英雄主義の映画ではなくて、悲劇で皆で悲しんでるというのでもない。何かもう戦争の空虚さとか愚かさみたいなものを非常に辛辣なかたちで描いてるような映画に興味がどうしてもありました。もちろん市川崑監督の『野火』は高校生のときに観て、すごく強い印象があります。大好きな映画ですし、市川崑監督も大好きです。ただ自分自身はモノクロの映像じゃなくてカラーの映像でフィリピンの自然を写したいというのがメインだったので、そこが根本的に違うところではございます。

Q:この度は素晴らしい上映会をありがとうございます。 私は2015年に初めてユーロスペースで野火を見て以来、後にも先にもこれ以上はないと思えるほどの衝撃を受け、寝ても覚めても野火のことばかり考えてしまう毎日が続きました。 塚本監督の野火は本当に戦場に連れて行かれたかのような凄まじい没入感が印象的ですが、この没入感を強めるために画面や音楽、演出上で意識されたり工夫されている部分がありましたら教えて頂けると幸いです。

塚本:お金がなかったからではなく、もしお金があって大作をつくれたとしてもこういう風にやろうと思っていたのは、あくまでも主人公の田村一等兵の主観に近い映画にするということです。お客さんが田村と一緒になってジャングルの中を歩き回るっていう映画にしようと思ったんです。田村一等兵がいて、「一方」アメリカ兵は銃を持ち構えて待っているという顔を映して、❝あー近づいちゃだめだ危ない危ない❞、バババッていう描写じゃなくて。実際に戦場にいたらアメリカ兵は隠れていてこちらは気づかないわけですから、アメリカ兵は見えないんです。あくまでも主観的に歩いていくと、突然弾が飛んできますし、突然爆発が起こります。そういう主観的表現で没入感を出そうというのが一番の方法でございました。

Q:塚本監督の作品は日本映画史に残されていく素晴らしい作品の数々だと思います。この『野火』も間違いなく残っていくと思います。その作品が低予算での制作になったことは、ご本人としては振り返ってみて、よかったことと思われていますか。できればお金をかけて自由に作りたかった思いは残っていらっしゃいますか?私はいろんな制限の上で、あるいは限られたスタッフで作られたからこその、奇妙さ、が塚本監督の映画の魅力の一つであると、今までの作品でも多く感じております。映画製作自体、いろいろ制限があるほうが楽しめる、いいものができると感じられる部分はおありでしょうか?

塚本:お金がいっぱいあって自由にっていうのはほぼないんですね、この世の中。自分がお金をいっぱい持っていればそれは自由ですけど、プロデューサーからお金をいっぱいもらうということになった瞬間に完全なる自由というのはもうそこで消えますので。そういう意味では、本当はこの映画に関してはやっぱり多くの人に見てもらいたかったっていうことで著名な俳優さんに出てもらって大きな規模でつくるのが夢ではあったんですけど、恐らくそういう(大きな規模)じゃなくて、もう苦しみつつ自分のできる範囲の中でつくったからよかったんじゃないかっていうことは大林宣彦監督も言ってくださっていて。やむにやまれぬかたちで今生まれたっていうことが重要だったわけなので、こういうふうでよかったんじゃないのと。いずれにしてもうれしい意見を言っていただきましてありがとうございます。

Q:塚本監督の初期作品は物質としてのただの肉体とか、物質としての都市の風景とかわりと今の現在性みたいなものが特徴かなと思っていたのですが、(『野火』の前作の)『KOTOKO』とかを見るとそのリアリティーというのが何かすごくもっとこう切実なもの、塚本監督が戦争ってものをすごく意識しはじめたということにつながっていくのかなと思いました。(『野火』の)製作まですごい時間がかかったと思うのですが、今つくらなければいけないという気持ちを持続できたのはどういう心境があったのでしょうか?

塚本:『野火』は自分としては戦争に実際近づいてるという危機感をそんなに強く感じていなかったころからずーっとつくりたいと思ってた企画なんです。そのときはやっぱり原作の素晴らしさ、原作の世界に近づきたいと思っていたのと、戦争をテーマに扱うのは普遍的なものでそのことを見つめたいみたいな気持ちでした。最後にお金がまったくないのにつくんなきゃと思ったのはやっぱり3.11があったとき。放射能がこぼれてしまったときに自分は東京の電気が福島からきてるってことさえも知らずにのうのうと生活を享受していたわけですけど、心の奥底ではなんか電気過剰だなと思っていて。その電気が実は福島から来てるということになんか首をかしげるわけです。その電気を本当に原子力発電所とかでつくらないといけないのかなという疑問とかもどんどん起こるのは、もうそこで結局いらなくなった廃棄燃料みたいなものは何万年もとっておかなきゃいけないわけですよね。毒が消えるまで。それどこにどうするんだろうと思ったら案外雑にドラム缶につめて海に沈めるとか地面に沈めるとか。ドラム缶の方が何万年より先に融けて消えちゃって、そしたらその何万年にならない前の未来に生きてる子どもたちはずいぶん前の人たちがつくった毒をもろにあびるのがあきらかなわけです。自分が子どものときって大人っていうのはもっと未来の設計図をきちっと作って未来に命を紡いでいく計画をたててるのかと思っていましたが、案外すぐ目先のお金のことの方が大事で未来の設計図が雑であるということに気付いたときに不安に駆られて。それはたいがいそのことを計画するある力を持った人たちの私腹をこやすために犠牲になるのがたいがい自分たち一般の民衆であるっていう構図がそこにいつもあったものですから、その雑さをもってすると戦争みたいな状態になったときに、いかに民衆の命が粗雑に扱われるかおのずとはっきりしてきます。その不安が強くありました。もう一方では、戦争体験者の方々がいらっしゃるときは、もう戦争に近づくなんて冗談じゃないという強い炎のような気持ちがあったので、水面下では戦争をしたい人たちが戦争が終わった直後からもうすでにいたと思うのですが、そういう人たちの気持ちをしたくないっていう強い気持ちでおさえてたと思うんです。でもその方々がいらっしゃらなくなって戦争の体験が体の実感としてない(方々が増えてくると)いかにもしたり顔をした戦争をしたい人たちの意見が強く大きく前に出てきて不安でした。論理的にそういうことはよくないという説明はできないのですが、自分にできることと言ったら戦争に行くと一般市民である自分たちはこういう目にあう、結局戦争って殺すという目的のための究極の暴力があるところで、民衆の立場でこうなっちゃうよってことを言わんといかんなと。自分もついぼーっとしちゃうんですね。戦争の実感わきませんし。そういう不安があって今やんなきゃと思い、無理くりつくり始めた感じでございます。

Q:私は広島県で生まれ育ちまして平和教育をずっと受けてきたんです。小学校のころは被爆者の語り部さんの話をよく子どもなので怖いから聞かされてきたという感じなんですね。今その方々がもういなくなってしまって、その方々のお話を引き継いだ2代目の語り部さんが活動を始めてるんですけれども、お話を聞いてもどうも最初に聞いたときみたいな恐怖がないんです。でも『野火』を見たときには小学校のときに語り部さんの話を聞いたときみたいな恐怖があったんです。恐怖の濃さは何に左右されるんだと思いますか?

塚本:難しいいい質問ですね。僕も今実はぱっとわかってて答える感じじゃないんですけど。大岡昇平さんの原作が十分素晴らしかったのですが、まだ僕自身は戦争体験者の方にお話を聞く機会があったので、そのお話を聞いて、あたかも自分がその戦争に行ってるくらいのイメージが湧くような、体験してるくらいの恐怖がありました。なるべくそれをそのまま映画に移し替えることができないかと悪戦苦闘したというか、必死にやりました。そのことに尽きちゃうかなという感じなんです。そう考えたときに今後の戦争のことを描く表現、戦争を体験してない僕がぎりぎり語り部の人から聞くことができましたけど、今度その聞く機会もない人たちが戦争のことを扱った映画をつくっていかなきゃいけなくなりますので、どういう風にその恐ろしさを伝えていくことができるんだろうかというのは恐らく今後の課題でもあります。もしそれが難しいということになってしまうと、もう戦争の恐ろしさを伝えることがあまりうまくできなくなってしまい、どんどんまた戦争に近づいていっちゃうということがあるので、そこは非常に難しい大事な大きな課題です。質問も素晴らしいんですけど答えも難しいですね。僕自身もまだちょっとわからないんですけど。わからないながらにおぼろに思うと、僕はこの『野火』をつくるときに戦争体験を全くしていなくてつくるのはちょっとこわかったのですが、戦争を体験してない人はつくっちゃいけないのかというとやっぱりつくるべきだと思うんです。資料とかそういうものは本当にたくさんあるので、多分その資料を読むことで受ける感情は同じ人間なわけですから。たくさん読むことで何かそこに創作の実感がわけば、それはやっぱりつくるべきなのかなと思うんですけどね。

Q:『野火』も拝見して、メイキングもすごく興味深く拝見しました。私自身子どものころから祖父からフィリピンの戦場の話をたくさん聞いて育ちました。その話が映像そのままに表れてる感じがして、びっくりしたというか、こういう状況だったんだっていうのがすごく実感としてわかったというか。手触りをもって観ることができてすごく貴重な体験を映画でさせていただいたなと思っています。エグさとか怖さとか、戦争って現実はまったく明るくないんだよみたいなことを伝えることの難しさを今現状として監督は感じてらっしゃいますか?(お祖父さまの体験をお話くださり)こんなに戦争って恐ろしい、そんな現実があったんだというのが子供心にずっと実感としてありました。本当に戦争ってなんだろう、と。自分にとっては遠いものかもしれないけど恐ろしさだけはずっと近くにあったので。私は孫だったからそういうふうにラフに話してくれたと思うのですが、やっぱりそれをこと多くの人に伝えるっていうのが本当にだんだんできない、伝えられる場所もなくなってる気がしていてそれがちょっと大丈夫なのかなと思うときがあります。

塚本:本当にいいお祖父さまだったんですね。そういう恐ろしさを体感させてくださったっていうことですものね。そういうことが一番大事なんだろうなとやっぱり思ってしまいますね。でもやっぱりなかなか話す人は少ないと思うので、受け継ぐっていうのは難しいことだなと。『野火』の企画も全く同じ内容でも、ずいぶん前は内容はいいけどお金がちょっと集まんないよって感じでした。でもだんだんもう煙たいって感じですか。そんな恐ろしいとか、冗談じゃないみたいな雰囲気で煙たがられる時期がありましたね。だいぶ前と様子が変わってきたなぁと。『野火』の企画を出すときなのでずいぶん前の話ですが、変化してきたなと思って。『野火』をつくるときにはもう誰も相手にしてくれないという状況です。だからつくったところでもしかしてプロデューサーだけじゃなくてお客さんさえもいない可能性あるなっていう不安も起こるような状況で、暗中模索みたいな状態でつくりました。全国の映画館をまわったなんてかっこよく言ってますけど実は不安もあってですね。総スカン食らうんじゃないかっていうどんな反応なんだっていうのを一緒に見たいなというのもあって見に行ったのもありました。そしたら案の定誰も何にも云わないで顔青ざめてるんで最初は失敗したとこりゃいかんと思ったんですけど、だんだん反応が大きく返ってくるようになって今こうして8年も続くようになったって感じですね。なかなか大きな規模でやるのは難しいんだなってこうやって話してても改めて実感してしまいます。

 Q:戦争とかそういう題材を扱うときに被害はけっこう大きく扱うけれども、加害の部分はあんまり描かれないことが多いです。『野火』は加害の部分がリアルに色濃く出てると思うし、敵じゃなくて味方でさえもそういうふうになっちゃうというそこがすごく芯にあり、観たときにものすごい衝撃を受けました。加害を描くのは難しく、気持ちが強くないと描けないと思うのですが、そういう思いで加害の部分を描こうと思ったのですか?

塚本:ちっちゃい子どものとき「コンバット!」って戦争を描いたアメリカのテレビドラマを弟と一緒に見ていたことはあるんですけど、ある時期からそういうヒロイズムみたいなもの、ヒーローって感じで戦争の映画を観るのに強い抵抗を感じるようになりました。戦争をヒロイズムで描く映画っていうのはいまだにけっこういっぱいあるんですけど、それはもうちょっと僕としてはとても受け入れられるものじゃないです。もう一方で戦争を悲しいとか自分たちが被害を受けるみたいなかたちで戦争の恐ろしさを描く映画はたくさんあって、それはもちろん戦争の怖さを描いてるんでいいことというふうに思うんですけど、でも戦争を被害で描くっていうことは自分たちをひどい目にあわせてる相手がいて、ひどい目にあったていうその憎悪とかが相手におこってしまうことでもあるわけです。そういうことを描いてる限りは戦争の恐ろしさっていう本質にはなかなか近づけないんじゃないかなというふうに思っていて。戦争で怖いのって戦場に行ったときに自分が殺さないと殺されるので殺すという、被害で死んじゃう怖さだけじゃなくて人を殺さなきゃならないっていう怖さがすごくあると思うんです。この映画をつくったあとにいろんな本を読んで、これはちょっとがっかりな話なのですが、人って状況を与えられると暴力的にどこまでもなってしまう、そういう人が非常に多いってことです。どの国の人もその状況が与えられると殺人をしてしまう、その場が戦場ということです。殺したり殺されたりするという究極のことが行われる場所です。その「殺す」っていうことが場が与えられるとできちゃうっていう、実は僕それがとっても信じられなかったんです。どこかで踏み越えられない一線があると思ってたんですけど、当たり前のようにそういうことがあるということが今恐ろしさとしてあります。その加害をしてしまう恐ろしさということを描いて、その場に近づかないというようなことをテーマにしなきゃいけないというのが自分の中には強くあるんです。ただ映画っていう表現にしたときにそれをお客さんが見たくないっていうのがありまして。プロデューサーがお金を出さなかったのはそれじゃお客さん来ないよって結局そういうことだったなと思うんですけど。加害者を描いても映画観て気持ち良くならないんです。そこにカタルシスがないので。だから映画として難しいということがあります。でも戦争の恐ろしさを描く以上はそこにカタルシスがなくてもそれを描かないとならないんです。だから大きな映画じゃなくて自分ひとりでやらなきゃいけなかった、結局はこういう方法でしか映画できなかったのかなというふうに実は『野火』に関しては思ってるところがあります。それでもまだ恐ろしい加害ばっかりを描くっていうのを自分の創作でやるところまではなかなかいけなくて、『野火』は加害もありますけど被害もいろんなものが、素晴らしい文学の中に入っています。加害も突発的な事故にも見えるような表現で、けっこう自分としては加害を描きつつもお客さんの共感がぎりぎり入るところを一生懸命探した感じではあったんですけどね。だから本当の加害を描くのはなかなか難しいかもしれません。

Q:私たちはウクライナに住んでいます。 塚本さんに質問があります。教えてください、戦争を防ぐ方法はありますか? そしてそれをどのように終えるのですか?

 塚本:これあまりにも僕には大きな質問すぎますね。すみません、ウクライナの今の大変な状況になってる方に。実際YouTubeでプーチンインタビューという5時間くらいあるやつを見れるので見たんですけど、全部。どうしてこんな戦争が起こってるのかって。こんなに現実的に人がいっぱい亡くなったりひどいことになってるのに、その本当の理由っていうのがなかなか僕わかんなくてですね、これから理解を深めていかなきゃいけないんですけど。そんな目先の今起こってることが難しくてわからないのにかかわらず、今まで人が永遠にと言っていいほどの長い時間繰り返してきたこの殺戮、全然人間が進歩しないでしたことを終わらすっていうのがね…。どうしてもなかなかぱっとは答えるのが難しいんですけど。ただ自分の中では逆になんでこうやって戦争しちゃうのかなというのも正直言うとわかんなくて。この日本が75年も戦争をしないできたっていうそれが当たり前の時代の中に自分は生きてきました。それは戦争でひどいあつい思いをした人たちが戦争をしないようにしてきた強い強い気持ち、異常な努力をきっと繰り返されてきて、この日本の75年も戦争をしなかったことがきっとあるってことがどうしてもあると僕は思います。今痛みを感じてる人たちが強く思ってる気持ちがある間は戦争はおこらないんですけど、その体の実感がなくなるとどうしてもまたそこに戻っちゃうっていうのが何とも愚かしいというか。でも最初からしたい人がいる以上はこのチャンスを狙ってきた人がきっといるんだろうなと。どうしてそもそもそういう人たちがいるんだろうなというのも不思議なんですけど。人の中に権力欲とか本能みたいなものがどうしてもある、何か強い権力とか持った人たちにそういう人たちがいるからなんですかね。それでその人たちの言葉に自分たち民衆が意外にこう感化されて、「そうだそうだ」とこう膝を叩いてしまう人たちがいるんでしょうかね。いつも不思議なんですけど。例えばそうです。大河ドラマとかで武将が決断して、観てる僕たちも共感して観てますけど、自分たちはその武将側じゃなくて武将の判断によってうぉーってみんなで攻め込んでいってバタバタと死んでいく十把一絡げ、その他大勢で描かれてる方の立場の方なんです。その武将と自分たちっていうのが全く違うっていうことを実感してもらってから意見を言ったり考えをはじめてもらいたいなっていつも思います。このふたつの間の戦争を決断する人と行く人っていうのが違うのをなんか一緒くたにして考えてるんで、僕としてはですけど、国と国の戦いっていうんじゃなくて、戦争をしたい人たちがここらへん(上の方を示し)にいて、戦争をしたくないけど行かざるを得ない人たち(下の方を示し)、それがどの国の人であっても、国ごとの対決じゃなくて、この戦争をしたい人たち(上の方)と自分たち全員が合体したもの(下の方)との戦いなんで、この人たち(上の方)の言葉によって、ここ(下の方)がいがみあってますけど、この人たち(上の方)の言葉がなければ、ここ(下の方)が別にいがみあう必要の全然ない人たちの大きな集合体なんで、こっちの方(下の方)でなんかもっとここ(上の方)の言葉に感化されない力で結びつきあうことってできないのかなと思います。これは本当に甘い考えでもっといろんな複雑な事情っていうものがあると思いますし、簡単には言えないのですけど。僕はどっちかというとここ(上)とここ(下)のことでこっち(下の方)の連帯を高めたいなという風に強く思うんです。そのときは何が必要かっていうと情報がきちっといつもいつもすみやかに通ってる状態っていうのが必要なわけです。情報が中できちっとまわってない国はやっぱり上の人たちの言葉の影響を受けやすくてその言葉ばっかりが真実だと思ってしまい、やっぱり戦争にも多く行ってしまいかねない国のように思うんです。だから日本でもある権力を持ってる人たちには(一般市民に)情報がない方がありがたいんで、抑えようとしている動きがあきらかにあります。情報が流れないようになったらえらい騒ぎになると思った方がいいので、この情報が得られないっていう状況をつくろうとしてる動きがあったら、絶対にそうさせないようにしていかないといけないなと思います。実状を今味わってる方に言うような内容じゃないかもしれないのですが、そんなことを今感じているんですけどね。

(最後のご挨拶)

相変わらず不安はどんどん高まる一方なのですが、自分としては『野火』をつくったってことだけは間違いじゃなかった、いろいろ悩みつつも『野火』をつくったってことで、逆に『野火』の方が今迷ってたり悩んでたりしてる自分に『野火』を観ることで教えてもらうような感じもあるので、表現の方が自分の頭とか考えてることより先に行ってる感覚があります。これから先も自分も『野火』から教えてもらうために上映し続けて、こういう場を設けていただいたときにみなさんの話を聞きながらまた考えていけたらというふうに思っております。今日はプライベート空間対プライベート空間なのでお友達とお酒を飲みながらしゃべるような雰囲気でしたが、大事な場でございました。今年も8年目の『野火』なんとかお友達を誘って劇場で体験してくださるようお伝え願えたらと思っております。今日は夜遅くまでありがとうございました。

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ご参加いただいたみなさまありがとうございました!

8年目の『野火』戦後77年アンコール上映

戦後70年に当たる2015年に初公開し、これまで71年、72年、73年、74年、75年、76年と毎夏かかさず上映を重ねてきた塚本晋也監督の『野火』。今年も終戦記念日を中心に、渋谷・ユーロスペースほか全国にて8年目のアンコール上映を行う運びとなりました。現在のウクライナの情勢によりSNSなどで戦禍を目にする日々が続いていますが、スクリーンを通して戦場の恐ろしさを体感し、戦争と平和について考えていただきたいと考えております。アンコール上映に先駆けて、『野火』メイキングの無料オンライン上映会も塚本監督のQ&A付で実施の予定です。


戦後70年にあたる2015年に初公開した塚本晋也監督の『野火』。構想から20年の歳月をかけ完成させ、2014年にヴェネチア映画祭メインコンペティション部門出品、翌年に全国83館で劇場公開。その後も、製作当初から「『野火』を毎年終戦記念日に上映されるような映画にしたい」という塚本監督の思いに共感した劇場にて、毎年アンコール上映を重ねてきた。

初年度からの劇場・自主上映含む総観客数はおよそ9万7000人にのぼる。公開から8年目となる戦後77年の今年も渋谷・ユーロスペースを中心に全国34館の劇場で上映が決定。(6月24日現在)

各劇場の上映予定、併映予定等実施の詳細は劇場HP、『野火』オフィシャルサイト・SNSにて随時発表する。

またアンコール上映に先駆けて、7月5日(火)の20:30より『野火』のメイキングである「塚本晋也解説『野火』20年の軌跡」の無料オンライン上映会を塚本監督のQ&A付で実施。お申し込みは「Peatix(ピーティックス)」にて、6月28日(火)20:00 より受付開始する。https://nobi-movie20220705.peatix.com30名限定。


【塚本監督からのコメント】

実際の戦争が激しさを増し、様々な思いが様々な形で渦巻く時代となりました。

戦争に近づかないためにできることー。
そのことを考えるとき、まず、この『野火』を観ていただきたいと思います。
そして考えるきっかけにしていただけたらと思います。

最初の上映からまる7年を経過した8年目の『野火』。
共感してくださった劇場さんが、今年もこんなにたくさん上映をしてくださいます。改めて感謝と驚きを感じています。
劇場での体験は、特別なものになると確信します。

今年もよろしくお願いいたします。

塚本晋也


2015年の『野火』初公開時の劇場行脚でミニシアターの魅力に触れ、昨年よりお世話になっている映画館の短い動画を撮影し「街の小さな映画館」YouTubeチャンネルに不定期でアップしている塚本晋也監督。夏には『野火』『斬、』の流れを汲む新作の撮影に入る。ライフワークとなりつつある『野火』の上映はますます重要になってきている。

現在のウクライナの情勢により戦禍がSNS等でも目に触れる日々が続いているが、観客のみなさまに劇場で、戦場の恐ろしさを体感し、戦争と平和について考える機会にしていただきたい。

随時更新!上映劇場はこちらのページでご確認ください。

ミニシアターの魅力を伝える動画by塚本晋也 「街の小さな映画館」企画始動!

塚本晋也監督によるミニシアターの魅力を伝える動画「街の小さな映画館」企画が始動します!2015年に公開した『野火』で全国80館以上の劇場を行脚し、個性あふれるミニシアターの魅力に触れた塚本監督が、お世話になっている映画館に1館ずつ足を運び、その横顔を撮影した動画をYouTubeに順次アップしていきます!


毎年終戦記念日を中心に今夏7年目のアンコール上映を迎える塚本晋也監督の『野火』は戦後70年にあたる2015年に初公開された。多くのボランティアスタッフとともに完全自主製作により完成した『野火』は、この年塚本監督自身が代表をつとめる海獣シアターの自主配給により全国のスクリーンにかかることとなった。そして「塚本晋也、皆さんに会いに行きます!プロジェクト」と銘打ち、時には夜行バスやフェリーでの移動、カプセルホテルへの宿泊をしながら全国津々浦々の劇場を行脚するキャンペーンを行った。

その中で個性あふれるミニシアターの魅力に触れた塚本晋也監督が、お世話になっている映画館を1館ずつ訪れ、ミニシアターの魅力を伝える動画を撮影する「街の小さな映画館」企画がこのたび始動する。

撮影された動画はYouTubeチャンネルにて順次アップされる予定。


【塚本監督からのコメント】

未曾有の事態の中格闘していらっしゃるミニシアター。
その魅力をもっと多くの人に知っていただきたい-。

戦後70年の年、『野火』の映画とともに全国のミニシアターを回り、1館1館ひとつとして同じところはなく、館主さんの個性を反映したユニークな映画館がたくさんあることを実感しました。

日本各地の文化の多様性を担うミニシアターですが、コロナの状況の中、厳しい戦いを強いられています。

あらためてミニシアターへのエールを送らせていただきたいと思い、この動画制作を考えました。

どんどん作りたいと、はやる気持ちもあるのですが、まずは、毎年「野火」を上映してくださる映画館で、ご協力いただけるところだけでも1館1館、感謝をこめて作ってゆけたらと思います。ぜひご覧くださいませ。

やがて、「野火」という映画をさらに広げていく上で、あらたに上映してくださる映画館も撮っていくことができたら、と思っています。

塚本晋也


「街の小さな映画館」YouTubeチャンネル
「街の小さな映画館」第1回 渋谷・ユーロスペース
「街の小さな映画館」第2回 シネマテークたかさき
「街の小さな映画館」第3回 高崎電気館
「街の小さな映画館」第4回 川越スカラ座
「街の小さな映画館」第5回 名古屋・シネマスコーレ
「街の小さな映画館」第6回 深谷シネマ
「街の小さな映画館」第7回 横浜シネマ・ジャック&ベティ
「街の小さな映画館」第8回 豊岡劇場

7月17日(土)塚本晋也監督登壇!PFF×早稲田大学講義 「マスターズ・オブ・シネマ」オフィシャルレポート

7月17日(土)に行われたぴあフィルムフェスティバル(PFF)と早稲田大学の講義「マスターズ・オブ・シネマ」とのコラボレーション企画に、『電柱小僧の冒険』で「PFFアワード1988」グランプリを獲得し、7年目をむかえる毎夏の『野火』アンコール上映が控える塚本晋也監督とPFFディレクターの荒木啓子氏が登壇しました。学生のみなさんは事前に『電柱小僧の冒険』『野火』と『野火』のメイキングを鑑賞の上講義に参加し、質疑応答では、作品について、映画製作について、戦争を表現することについて、多くの手が挙がり、90分間をこえて熱く語り合う有意義な時間となりました。


塚本晋也監督登壇 PFF×早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」概要
■日時:7月17日(土) ■場所:早稲田大学
ゲスト:塚本晋也監督、荒木啓子氏(PFFディレクター)
聞き手:土田環氏(早稲田大学 基幹理工学部 表現工学科)


映画・映像の世界で活躍するゲストを迎え、学生からの質疑を交えて、制作にまつわるさまざまな事柄を語る早稲田大学の講義「マスターズ・オブ・シネマ」。年に一度のぴあフィルムフェスティバル(PFF)とのコラボレーション企画に『電柱小僧の冒険』で「PFFアワード1988」グランプリを獲得し、毎夏の『野火』のアンコール上映を控える塚本晋也監督とPFFディレクターの荒木啓子氏が登壇した。受講の学生は事前に『野火』と『野火』のメイキングである「塚本晋也解説『野火』20年の軌跡」を鑑賞し講義に臨んだが、それより以前に『野火』の鑑賞経験があったのはアンケートに回答いただいた120名のうち15名で、9割近くの学生が初めて『野火』を体験したこととなる。

1977年に始まり自主製作映画の紹介を続けていたぴあフィルムフェスティバルは1988年よりコンペティションで賞を出すようになり、最初のグランプリ受賞者が塚本監督。のちに映画祭に参加した荒木氏はいろいろな作品を観る中で受賞作『電柱小僧の冒険』を観たときの衝撃を「とんでもない人がいるな。自主映画ってここまで真剣にやる人たちがいるんだ、という感動に打ち震えました。そのときから私のヒーローのひとり。」と語り、その後交流を重ねる中での本人の印象を「とにかく映画にかける情熱、何かをつくることにかける情熱や集中力が並外れた方。ずっと尊敬しています。石井岳龍監督と塚本さんのふたりが“自主映画ってすごい”と導いてくれる心のメンターみたいな存在。」と述べた。また「『電柱小僧の冒険』は8ミリフィルムでつくった作品ですが、特撮で、自分の力でできるあらゆることをすべてつぎこんでいる、どうしても見てほしい作品。それが今回の(課題作)『野火』まで綿々と続いている。『野火』を終戦記念日に絶対上映し続けなければいけないという決意に感動しているし、この映画自体が命がけだったという体験を聞いたことが忘れられなくて。」と今回塚本監督の登壇を企画提案した理由を語った。

登壇にあたって『野火』について学生と話したいと提案した塚本監督はその理由を問われ「毎年8月の終戦記念日のあたりに『野火』という映画を映画館で上映しているんです。戦後70年、今から6年前に最初に上映してから毎年全国で30館くらいの劇場の方が手を挙げてくださってます。僕自身がこの映画をいろんな思いでつくった訳なのですが、お客さまと一緒に映画を観てお話をしたりしながら、逆に教えてもらうような感じで自分の中で意見を固めていったりするところもあるので、もし今日も教えてくださることとか質問に答えながらまた何か発見することがあったら幸いです。」と答えた。

土田氏は「学生のみなさんは塚本監督にまず最初に俳優として出会ってることが多いのではないか」と推察し、「監督として映画を演出されることと役者として映画に出演されることと全然違うと思うのですが、自分の映画で自作自演されるときというのはどういう頭のすみ分け方をされてるんですか?」と質問。塚本監督は「8ミリ映画をつくっていたので撮影したり出演したりたいがいのことは自分たちでやっている。最初のきっかけはそこ。お芝居に関してはすごく恥ずかしがり屋だった子供時代に学芸会で演じたあと空が真っ青に見えてうれしい気持ちが溢れてきたんです。映画つくりとお芝居とはそれぞれ同じように大事なものでずっとありました。自分の映画に出るときは説明しなくてもわかっているので便利ということもあれば好きでやってることでもあります。ただほかの監督さんの作品に出してもらうときは監督目線で行くことは絶対にないです。あくまでもひとつのコマとなって、好きな監督の映画のつくりかたを見られたり、その世界の住人になれる喜びを味わいに行くような感じです」と答えた。

重ねて「体験した感覚」という『野火』に関しては「自分が出ることは当初まったく考えておらず、いつか潤沢な予算が入るようになったら著名な俳優さんに出ていただき撮ろうと思っていた。ただ先延ばしにしているうちに、時期を外してしまうような、映画そのものが腐り落ちてしまうような危機感を感じて、今つくらなければとなったときお金が全くなかった。本当に頓智みたいなことをいろいろ考えて、ひとりカメラを持ってフィリピンに行き自撮りで撮ろうというところから始めた。この映画に関しては監督とか出演とか脚本ではなく、『野火』という大岡昇平さんの素晴らしい小説をとにかく全霊でかたちにする、そのことにすべての力を注ぐ、芝居をするのもそのひとつ、という感覚でした。」と答えた。

またラストシーンや〈野火〉の解釈、主人公が〈猿の肉〉を口にするかどうかなど、「市川崑版の『野火』(59)との違いを意識したか」については「大岡昇平さんの原作をなるべく厳密に尊重しながら映画的表現に置き換えるという基本の向き合う姿勢は同じだと思いますが、ひとつひとつの描き方はかなり違ってくる。それはそのときの倫理観、映画的解釈、時代の違いでもあると思う」と述べた。

続いて荒木氏より「戦争映画というとぱっと何を思い浮かべるか?」との質問には『地獄の黙示録』と『プラトーン』を挙げ、「ヴェトナム戦争を描いた当時の映画は相当影響を受けた。本当に自分が戦争に行って戦争を体験しているような感覚が刷り込みとしてあり、やっぱりこの2作に戦争というものがきれいごとや大義名分じゃないという真実味を感じました。」と答えた。荒木氏は塚本監督が戦争映画をつくったことについて「結構びっくりするぐらいの出来事だったと思う。(戦争映画は)出資者が見つからないし企画がまず通らない。深作欣二さんや岡本喜八さんくらいの戦争を知ってる世代が最後な気がします」と振り返り、戦争映画を撮ることの困難さが改めて浮き彫りになった。


【質疑応答】(※一部採録・再構成・敬称略)

Q:戦争に対して訴えかけることを意識されてるのかなと思いました。「映画の力」「映画の意義」という言葉に関してご意見お聞かせください。

塚本:物語の中にテーマ性はあっても、論理的に脚本の構造的に結論に導くようにつくるのはちょっと違うかなという気がします。映画というのは観ていただいてお客様に感じていただくものなので、自分の考えに誘導するようなかたちがはっきりあらわれたものだと昔からプロパガンダと言われますが、芸術というよりコマーシャルのようなメッセージになってしまいます。あくまでも自分の考えを押し付けるのではなく、いろいろな風に考えられるようなものとして提供しないといけないのかなとは思います。『野火』は大岡昇平さんの素晴らしい小説が原作なのでいつ描いても普遍的なテーマであると思い、つくることにそんなに焦っていなかったのですが、実はつくったときにはものすごく焦りがありました。戦争に兵隊さんとして行かれた方、肉体の痛みを知る方がいらっしゃらなくなると世の中どうなってしまうのだろうという危機感があり、なるべくその痛みをリアルなかたちで残すことが必要と思いました。これはそのときの社会の動きが強く影響しているのかなと思います。あとはみなさんどう感じますか?ということです。

Q:エンタメとアートはわけられるものではないとは思いますが、映画には娯楽性の方が重要視されているのでしょうか?

塚本:『野火』 という映画は娯楽性が欠けていて「よかった」とか「感動した」とかのカタルシスのない映画なわけです。ただ自分は戦争というものはカタルシスで描くべきじゃないと思ったので、そういう意味で娯楽性を入れることができなかったということなんです。ただ『野火』と離れたテーマで言うと、娯楽性と社会性というか僕の場合は実験性と言いますが、そのバランスはいつも考えていて、「面白かった」と笑ってぽんと忘れちゃうのが娯楽だとしたら、非常にこだわりの強い実験的なものをうまく合体させられないかなと『電柱小僧の冒険』のころからずっと考えています。その理想的な融合をいつも探しています。

Q:若いころに観た実験映画で強烈に印象に残っているものはありますか?

塚本:実をいうと本当の実験映画というのはちょっと苦手意識があって…。娯楽映画もいわゆるハリウッド映画も大好きなので、実験的なこととうまく合わさらないかなというポイントでいうと、デヴィッド・リンチ監督とか、デヴィッド・クローネンバーグ監督は娯楽性と実験性がうまく合わさって面白いアートに昇華させた方々かなと思い、映画をつくり始めた頃によく観てました。

Q:『野火』を観て人間の視線や視点がすごく怖いと感じました。見られる恐怖、恐ろしいものを見てしまう恐怖。製作するにあたって人間の目や目線にこだわりがあったら教えてください。

塚本:カメラ目線ということでいうと、この映画はお客さんが田村一等兵と同じ立場になって森の中を彷徨ってるように見せたいと思いました。映画ですと例えば主人公が何かを起こしていて、「一方」のアメリカ兵を映したりします。アメリカ兵が戦闘の準備をしている、一方こっちはそのことに気づかず行動している、とハラハラさせる。『野火』ではそういう描き方はせずに、あくまでも森を彷徨ってる田村一等兵の目に見える範囲しか映さないようにしています。もっと言うと自分たちの上官の姿すら見えない。兵隊さんに行くと実際そんなようなものじゃないかなと思うのですが、そういう目線にすることでお客さんがそこにいるようなリアリティを感じてもらえるようにしようとしました。まわりを全然描かないので、恐ろしい銃撃などが突発的に起こります。おそらく本当の兵隊さんも歩いてると突発的に弾が飛んできて、突発的にもう弾が当たっているということだと思います。その突発性の暴力の衝撃は物語を構造的にしっかり見せるより印象が強いのかなと、そのようなカメラ目線にしました。

土田:田村一等兵は受け身というか「見る」「見てしまう」のような存在なのでしょうか?原作では自問自答のような感じですごく内省していきますが。

塚本:ある時期大岡昇平さんの小説への経緯というかたちでモノローグを入れようかと思ったんですけど、それこそ実験で吉と出るか凶と出るかわからないですけど、全部外して映像で表現できないかとシフトしきってしまいました。最初簡単な設定くらいは冒頭に入れてたんです。それも最後にやめちゃって。何の説明もなくいきなり森に投げ出されて、いきなりつきあわされるという…。

荒木:そういう意味での実験ですよね。つまり映画はこうあるべきというセオリーを外したところで何をやるかという実験。ひとりでつくるというところから発生しているだけに他の映画ではやってないことはたくさんあると思います。実は勇気をもらった映画があるのかもしれない。塚本さんは黒澤明さんも大好きなんですよね?

塚本:黒澤監督こそ、ハリウッドも影響されるようないわゆる娯楽の王道なんですけど、実験精神が毎回毎回あふれている。ある意味娯楽と実験のせめぎあいみたいなものを黒澤監督の作品にいつも感じるからかもしれませんね。よくよく見るとすごく実験にあふれてる映画なんですよね。時代劇で人を斬ったときに音が出たり血が飛んだり今では当たり前になってることもあるけど、悲しいシーンに明るい音楽の対比で強調させるような今やっても新しく感じるものもたくさんありますよね。

荒木:カメラ目線で主人公が語るというのも黒澤さんが始めたような感じですよね。普通の商業映画がやらないことをいっぱいやっている衝撃はありますよね。やっぱり人がやってないことをやるっていうのがすごく大事ですよね。

Q:色彩についての質問です。『野火』を観たときに色の彩度が高くコントラストがきつく油絵を塗ったような印象がありました。きつすぎる緑と異常なくらいの空の青と血の赤色…。色に対してはどういう意識や考えを持っていますか?

塚本:美術を勉強したので色はかなり大事です。各作品ごとに明瞭なコンセプトがあります。『鉄男』で言うと鉄なので白と黒と銀。はっきりさせるとすごく強くなる気がします。『野火』に関しては原作を最初に読んだときにものすごく自然の美しい世界と泥んこの茶色く汚くなっちゃったちっぽけな人間の対比を感じ、緑をくっきり強くしてそのことを描きたいと思いました。強くしすぎたかなと思うときもあるのですが、はじめてフィリピンに取材に行ったとき、本当に天気がよく緑が美しく、本当にここで戦争が起こったのかぴんとこなくて。戦争というと白黒な暗雲立ち込めてる中で起こってるイメージだったのが、ここで起こってたということがなんか拍子抜けするような。でもきっとこの拍子抜けするようなイメージの自然の中で弾が飛んできたのだろうと、あえて自然はくっきりと映しました。

Q:20年の構想との理想と現実。低予算で結果的によかったことは何でしょうか?

塚本:いくら低予算でつくったからといって、お金があればこうだったのにというのはお客さんに失礼なので、どうしてもやりたかったことは全部入っています。逆に余分なものがなくて無駄がない。映画はお金を出した人のものなので、誰かがお金を出してくれるということは意見を聞かなければならない。でも自分がお金を出してるので最終決定権は自分。それで凶と出るか吉と出るかはわからないけど、余計な描写を全部なしにできました。お金さえあれば…と思うことはよく考えるときっとできないんですよね。「今」という状況でどうしてもつくりたかったからできたのだと思います。

 Q:時間が経ち体験者の方の話など一時情報がなくなっていき、戦争映画を撮る責任や動機からだんだん離れていく状況になると、経験していない人が戦争を撮ることは結構危ないことではないかと考えています。戦争を経験していない人間が戦争映画を撮る意味を伺いたいです。

塚本:超大事な質問です。大事な問題に今後なっていくと一番感じていたのは僕自身で、体験していないのに描くの厳しいなと思う気持ちが『野火』をつくってるときもありました。自分が戦争映画を描くときにヒロイズムでは絶対描かないです。それは言語道断。悲劇的に描くのはかつて素晴らしい映画がすでにある。加害者の目線で描くべきではないかと思いましたが、加害性の凄さを資料を調べたくらいでやるのはちょっと抵抗がありました。『野火』には加害性も被害性も含めたものがあり、それどころか唖然とするほどの恐怖が入っていて、やりたいという衝動がありました。僕がかろうじて経験がないのにやれたのはやっぱり戦争でフィリピンに行かれた方の話をかなり細かく聞けたので、それを後ろ盾にやるべきだと思ってかたちにしました。ただこれからどうやって描くべきか?という指針がまだ自分の中にない。怖い気持ちもありますが、ただそれは今後やらなければいけない大事なことのひとつ。だからみなさんの中でテーマを感じたら体験者の方がいなくなる中で表現しなければならない。大きな課題なんですけどどうしたらいいんでしょうね?

荒木:経験してないとやっちゃいけないんですかね?

塚本:それは多分やってもいいんですね。緻密にいろいろ調べたことによってあぶりでてきたことを組み合わせていくとほぼ事実といえると思うので、そこに自分のテーマが乗っかれば表現していいし、表現するべきと感じます。

荒木:戦争というのは世界中で常に起きていて、何らかのかたちであらゆる国が関わっている。それって全く他人事じゃないということはずーっと人類が生まれてから続いてるんじゃないかと思うんですよね。私たちの生活に絶対関係がある。戦争状態というのは究極の暴力だと思う。暴力を描くこと、創作物にすることと何ら変わらない。創作物って想像でつくるってことだとやっぱり思うんですよね。

塚本:逆に戦争はまだ体験者の方がいらっしゃるから疑問がわきますが、そういう意味では幕末ものとか映画をつくってるわけですからね。ただ幕末ものというともうSFの領域に入ってきちゃって自由なアレンジ感が強くなってくる。質問者さんが聞かれたようにシリアスで切実な大事なものを描くにはよほど慎重にならないといけないと思いますが、調べに調べることによって自分の中にひとつのリアルができてくるというのはやっぱりある気がします。自分も戦争体験者の方のお話のほかにも資料をいっぱい見て、いろいろな角度、立場の人の意見を見る中で、くっきり浮かび上がってくるものがありました。そこにテーマをのせるとそれはもう大事な表現というか訴えなきゃいけないもの。それがある限り表現してもいいし、しなくちゃいけないと思います。

土田:『野火』も体験そのものを記したものではありません。まさに大岡昇平は「私は事実だけを書く」と調べていくことによって「フィクション」でありながらも「リアル」を構築する手法を考えつくした人だと思うんですね。彼はもちろん戦争体験者ですけど、実際に体験したかしてないかを越えて、表現において自分が書くためにはどういう作業が必要なのか、何を裏切ってはいけないのかということを、考える地点で、大岡と塚本さんとが重なり合うのだと思います。

塚本:日本の戦争は終わってますけど、イラクとか戦争体験のある方にお話はまだ聞けますし、いろいろ方法はある気がしますね。

荒木:いろいろな体験をした人の話を聞くのおもしろいですよね。

塚本:たしかに実際に現場に言った方の「なぜか指が1本多く見えるんだよ」とかその人独特の体験を聞きたいんです。英雄譚や難しい話より。そういう実感が映画には要るのかなという気がします。